0122 訴えてやる!part2
約束の一週間後をほとんど気にせずに過ごしていた、というのもその間もBさんはいつもどおりにパチンコ店に来てはパチンコを打っていたので私はすっかり彼の事業が私の好意によりうまく回りだして役に立てたのだと関心していたくらいであった。Bさんもあえてこの話をしないということはせずに私の顔を見れば普段どおりに話かけてきては余裕の表情でちゃんと返すからと上から目線で話していた。学生アルバイトの分際である私は金を貸している立場にも関わらず全然気にしてないという様子で彼の機嫌を損ねないように自らの立場を消して接していた。
とうとう一週間後の約束の木曜日。私はいつものようにパチンコをしているBさんを見つけ、こちらからは催促はせずにアルバイト業務をこなしていた。すると彼が近寄ってきて、「悪いんだけど、お客さんの支払いがちょっと遅れててすぐに入る予定だからもう少し待ってて」とあまりに軽い口調で言われたので私も普段の彼との会話ペースの延長で「あ、分かりました。」と全く気にしていない態度で返答してしまった。彼を信用していたため、返済を不安に思うことはその時点ではなかったのだが心の片隅ではこれって約束違反だよね、という物心ついてから私が持っている最低限の道徳心に触れることはあっても最悪の結末を想定したくないがための理性がそれを掻き消してすぐに前向きに考えた。そう、ちょうど今無いだけですぐに入金があるはずなんだ、彼がお客さんに車を売って金が入る予定なのだから遅れることはよくあることなんだろう。まさかの事態が起こるにはあまりにも普通すぎる日常の出来事であるはずだった、彼の言葉を信じれば。
その後も彼はパチンコ屋に現れ続けた。遅れるとは言ったもののいつ返済するという断定的なことは言わずに、相手があるから自分ではどうすることもできないが心配することは全然無いというニュアンスの話を、言い訳口調ではなく年下の私に説明し諭すような態度でまるで本人も大して気にしていないように振舞っていた。借金の話とは別に他の楽しい話や日常会話などがその何倍もの量を相変わらずに交わしていたので、私は彼の人柄を疑うような目で見ることは無く金を貸す前と同様に敬い、彼への評価を考え直してこちら側の出方を変えるようなことも一切しなかった。若さゆえの純粋さなのか、約束を破り金を借りている相手つまりは自分の前で毎日パチンコに興じている彼を見て、打っているパチンコ台にフィーバーが訪れることを本気で願っていた、そんな暖かな目で見守っていたのだった。Bさんが怖くて強く迫れないとか、借金を取り立てる勇気がないという理由ではなく、Bさんに対する思いやりからくる仕方ないなという心境でいずれ戻ってくるんだろうという安易な考えがあったのは、確かに事の成り行きの危険度に何も手立てを打たずに静観している怠慢さをうすうす自分自身のどこかに感じ始めてはいたものの、それはBさんの明るい人柄やあるいは私の孤独心を照らしてくれる彼のフランクな笑顔と、ちやほやされた経験のない自分に向き合いかまってくれそのプライベートな関係にまで侵食してくる親しさに私はジレンマに陥り、ずるずるとそのはぐらかしに「マジですか~頼みますよ~」と核心に迫ることなく馴れ合いの問答をするに留まっていった。
時は過ぎ去るもBさんはのらりくらりと金が入らないことを言い訳に、自分も困っているのだと私に述べるに終始した。さすがに時間が経過し過ぎており、私も焦りがしだいに出始めてはいたが困っている悪気のない相手に強く催促をできるはずもなく、この問題は段々と足かせのように精神的なストレスに発展していく。何か購入したいものがあっても借金が返ってきてからにしようとか、あの40万円があれば今頃こんな我慢をすることはないのにと思うようになり、ない袖を主張しているBさんに対してこちらも同じく無策を憂うだけでどうしようもなく、刻々と時間だけが過ぎていった。
Bさんは頻繁に来ていたパチンコ店にも来店頻度が減っていき、やがていつからともなく来なくなってしまった。幸い電話をすれば通じるのだが、仕事が忙しいとか取立てをするために遠方まで来ているなどのことを告げられいよいよ状況が困難なことを真に自覚しなくてはならなくなった。借用書があるのに金が返ってこないなんてあり得ないという常識を、金が返ってこないときのための借用書として使用するタブーに頭を切りかえらせざるを得なくなった。私は万が一金が返ってこない時に備えて、いや意地でも取り返す方法を検索するために債権者にある法的権利を調べるため図書館でそれに関する書籍を探した。
自分の貸した金を単に取り返すためだけに極力金は使いたくなかった。そんなの本末転倒だし冗談じゃない。最低限度の労力と費用に抑えたかったが労力だけは惜しみなく投じても金だけはどうしても浪費したくはなかった。貸した金は金利も含めて40万円、学生の自分がどれほどあのタバコ臭いパチンコホールで一日中駆けずり回って稼ぐことができよう大金か。うら若き貴重な時間を金に変えることが青春の一部になってしまっていた私にとってあまりにも巨額な損失、失うものが大きすぎる。取り返しがつかない失態になる前に猛勉強して知識武装し全精力をかけて貸し倒れを阻止しなくてはならなかった。その上で費用をさらに支払うということは追加的に自らの傷口をえぐるような感覚であり許せない行為であった。しかしながらどうしても必要経費がかかってしまうこともあったが、まさに断腸の思いでこの恨みはらさでおくべきかと、こみ上げる怒りを抑えて行動した。
債権回収に関する書籍は簡潔なものから難解そうなものまで多くあり、これほどさまざまな著書があるということは世の中にもやはり借金でトラブルになっている案件、そして金を借りて平気で返さないふとどきものがそれだけ大勢いるのかと人間社会の汚く陰に隠れた負の側面を案じた。こんなことは学校などの教育機関で教わることはない。自らの失敗を経験した中から行動し痛みをともない強烈に実感するとともに、同じ境遇で闘っている被害者である債権者が多くいてそれを指南する参考文献が多数存在していることは同様に、人助けと思って失敗をしてしまった私のような犠牲者は人間史上そう珍しい事案でもないことを感じてやや心強い胸中で本の一文々を嚙み締めて読んだ。
初期の督促から実質的な警告、果ては強制的に取り立てる方法など、一連の流れはほぼどの本でも内容は一緒だった。私はBさんから貰っていた借用書が単なる市販の領収書に二重線を引いて“借用書”と記し、金額と彼の名前と住所が書かれていただけであったので、借用書として成立するかが非常に心許なく自信がなかったために借金があるということを認めさせるということも含めて内容証明を送ることにした。
これでとうとう対決姿勢を示してしまうことになる。真摯に向き合って返済計画や建設的な話し合いをして穏便に解決の糸口を見つけるというのが本来の筋であると思われたが、そのころには既にBさんは電話にも出ない不誠実な対応を取っていたため私は金の切れ目は縁の切れ目と考えて絶縁止む無しと振りきれていた。この怒りを現実的な行動により相手に突きつけるという威嚇にもなる。それとともに本には借金にも時効があるという衝撃的な事実があったからでもあった。内容証明の文章の文末には速やかに返済に応じない時には法的手続きつまり裁判を起こすという文面を載せていたので、さすがにBさん、いや敬称すら憚れるBはさすがに返済に応じるだろうと緊張の中にも楽観的に考えていた。そしてこのようなシステムがあることに、正々堂々と借金返済を迫ることで自らの些細な欲が招いたことがきっかけの一つであるという後ろめたさも問題の焦点から取り除けられたらと願う気持ちが込められていたであろう。とりあえずは何もしない時間をいたずらに過ごすのでは一日々が費やされていくごとに貸した金が返ってくる可能性が着実に減っていくようであったため、内容証明を書いて出した後はとりあえず一つの対策をこなしたことに達成感があって、驚いたBが飛んでやってくることを期待しないではいられなかった。
内容証明が彼の自宅に届くころ、そして彼からの連絡を心待ちにして非日常的な心境で日常生活を過ごしてそのときを待った。しかし待てど暮らせどどれだけ日数が経っても連絡がない。内容証明郵便の配達結果を調べて愕然とした。何度か配達に行ったらしいが不在が続き、最終的には受け取り拒否になっていた。私は肩透かしにあったような思いがした。郵便を受け取らないという事態などまったく想定もしていなかったしそんなことが出来るということも知らなかったため、相手の巧妙な悪知恵にしてやられたと思い、舌打ちして腸が煮えくり返る思いを抑えることはできなかった。相手は返済の意思はなく踏み倒そうとしているのではないか、それよりもなによりも自分のことを完全に見くびっているとしか思えない。怒りとともに自分の虎の子である40万円が返済の意思がない相手に握られてしまっている恐怖感からひどく憂鬱な気分で頭が重く、それ以外のことは何も考えられなかった。このままでは本当に裁判をする羽目になってしまう。こちらも相当なエネルギーを要して個人間のプライベートな問題を公に顕在化させることにもなる。しかしながらこのまま手をこまねいて何もしないわけにもいかない。すでに自らが更なる行動を起こさなければ打開できぬ様相を呈しており、決断を躊躇している場合ではなかった。
内容証明はあくまで事実を記録にとどめておく郵便に過ぎないので、それが通用しない相手であるなら今度はさらに厳しい取立て手続きをするしかない。毒食らわば皿までの心境で全ての手段を使ってプレッシャーを掛けていくことを心に決めていた私は次に支払い督促なる手段をとることへ速やかに移行していった。この手続きは要は裁判所がお墨付きを与えて申し立て者の言い分どおりに督促状を発布するものであり、債務者の言い分を一切聞かずに執り行うことができる今回の状況にかなった適宜ふさわしいものであると思った。Bが常人であればさすがにこれほどの事の重大さには反応があるはずであると考えて遠く郊外の簡易裁判所まで皮肉にもBから購入した車を走らせ手続きの申し立てをしにいった。フロントガラスから覗く始めてみる県道の景色は、何か分からないものに足を踏み入れて一学生の道を狂わせてしまった自分自身の過去を投影しその表情と同じくうつろだったに違いない。およそBを強制的に返済させるのが困難な状況ではないかという猜疑心をB本人ではなく己への葛藤として矛先が向けられていくのを意識しながらも今は目の前の道をただ進む運転という作業に打ち込むしかない無心の状態は楽に思えた、そう行き先は裁判所なのだから。
簡易裁判所の建物内の掲示板に普段目にすることの無い法務的で固い文体の活字の掲示物が多く張られており、やがて迎えるであろう大人社会の秩序を根底で守っている司法機関の生々しい現実を暗示させるものと感じながらも斜め読みしただけで深く考えることはしなかった。受付へ向かい、書記官と言われる女性に事情を説明して必要事項を記入し手数料を支払い作業を終えたのはほんの数十分に過ぎなかった。裁判所から出てくると熱い夏の日であった。一体自分はこんなところで何をしているのだろう。
これら一連の手続きにはかなりの時間と労力、お金も使ってしまった。相手から貸し金を取り戻すという執念と相まって今までの作業を無駄にすることの怖さもヒタヒタと迫り来るようで、更にはみっともなくて誰にも相談することができず、一人孤独な戦いを嘆くことさえもできず自らの不運とBに気を許したことへの甘さを呪った。
督促状の結果、それはまたもや受け取り拒否であった。怒りと落胆はもとより、もはや案の定と思うのも自然のことだった。Bは何らかのテクニックを知っていて意図的に対処しているとしか思えなかった。その理由にこちらのアクションに対してBが私に連絡をしてくるということが一切なかったためでもあった。受け取ってもらえなければ苦労して申請した法的手続きも効力が発生しない。こちらの考えも伝わっていないのだろうか、実際のところはBが何を考えているのかも分からなかった。相手は雲隠れをしていてまるで見えない敵と戦っているようだ。戦略を練るにも掴み所の無い疑心暗鬼に陥り、こなしていかなければならない日常の学業や仕事に思いストレスになって学生生活に暗い影が立ち込めていた。
それでも恐怖に打ち勝ち重い腰を上げるしかない、私は何度か訪ねては不在であったBのマンションに意を決して督促状を手に持ち再度訪ねていった。当然だが一階のベルを鳴らしてこちらの訪問を告げる無意味なことなどはしなかった。他の居住者が行き交った隙にオートロックの扉を通り抜けマンションのエレベータそしてBの番室の前まで来た。居なかったら仕方ない、でも居ないことを僅かばかり願い今にも震えだしそうな体を、口を真一文字に結び耐えながらインターホンを押した。督促状は腰に上着をそうするようにズボンへ押し込んで相手から見えないように忍ばせていた。本人が出てきたらまずは借金のことを尋ね、状況を聞きこれからの計画をマジメに聞き出すつもりだった。最初から喧嘩腰で迫ったら相手の意思に委ねられている私の40万円は固く閉じた貝と同じように外的圧力に比例してその困難さが増すであろうという予測は若いながらも冷静に考えていた。しかしながら曖昧な言い逃れや確たる約束が取り付けられない暁には怒鳴りつけ督促状を叩きつけてまさに訴えてやると宣戦布告を言い渡すのだという今まで据えた事のない腹積もりを決め込んで臨んだ。頭の中で何度も怒りを露にするシーンをイメージトレーニングしていたので、とにかくこちらが真剣に頭にきているということを過敏にでも良いから相手に伝えなければ少しでも目的は果たせない。そのように言い聞かせた。
予想に反して鍵を開ける音がした、私はその一瞬が緊張感を絶頂に達する間もなく出てきた人間に驚いた。小さな体で上目遣いをしながらやや怯えるような瞳でこちらを見つめる子供だった。いつもBがパチンコ屋に連れてきていた見慣れた推定5歳程度の彼の長男であったのだ。私はこの子をいつも可愛がっており、良く知った顔であったためどう対応してよいか心の中で一瞬戸惑ったが当然聞くべき質問は一つだった。「お父さんかお母さんいる?」パチンコ屋で接する時に振りまいていた笑顔は見せずに真顔でこの子に尋ねた。「いなーい」この子は自分よりも上にあるドアノブに手を掛けながら笑顔のない不安そうな顔でそう答えた。私のことは覚えていないのだろうか、明るさを全く見せない彼の表情から率直に疑問が沸き起こったがこちらの用件は彼の発言で瞬時に打ち切りになってしまった。顔見知りの子供だからといってここで多くを質問し詮索するという考えも出てこずに私は「いつ帰ってくるの?」とだけ改めて尋ねた。「分からなーい」予測できた回答ではあったが、そう答えられたらもうこの空間に居る必要性が皆無になった。残念ながら目的は遂行されなかったが不在という不可抗力ではあるが一つの結果が出たことにBのテリトリーであるこの場に少しでも長くいたくないという思いから「じゃいいよ」と、終始この子には暖かい眼差しを向けずに扉を閉めさせる間を与えた。彼の後ろには彼の姉であるこちらも私と良く遊んでいたBの長女の女の子が私を無表情で見つめていた。彼女も私のことを覚えていないはずはないにも関わらずその表情からは何か特別な事情を察しているかのような、感情を表には出すまいとする意志となぜ私がここへ来ているのだろうかと不思議に思って意外性に目を見張るといった顔つきであった。
私は部屋を後にして歩き出すとともに今見た奇妙な光景に何かいやな予感がした。なぜあの子たちは私を見て何も発することが無かったのだろうか、 パチンコ店でいつもはやんちゃ息子とお転婆娘であるはずの二人が私を見れば飼い犬が主人を見つけて駆け寄ってくるが如く奇声を上げてまとわり付いてきた仲であったのに。そして二人の様子は明らかにやせ細り栄養を取っていないというようなみずぼらしい風貌であったのだ。あの家族には何か異変が起きている、そしてそれは私にとって好ましくない事態であると直感した。きっと借金をしているのは私からだけではない、とんでもない人間を相手にしてしまっている。唖然としてこの後に待ち受けている前途多難な茨の道を気が遠くなる思いで作戦を練り直す面倒さも後回しにして車を出発させた。
子供たちのどこか悲壮な面持ちに情が移ることはなかったが、貸したものは返してもらわないとこちらも生活がかかっているため立ち止まっている暇はなかった。簡易裁判所へ小額訴訟の訴えを起こすことができることの調べはついていた、相手がどうしても出てこないというのであれば出てこないでは済まされない状況に持っていけばよいだけのことだ。詰め込んだ知識に基づいて着々と必要書類を準備していった。管轄裁判所は相手の住所によって定められているために遠方の裁判所であることが分かった。しかし地図を見ると駅から離れている郊外の場所へ位置していたために、また再び車で行くことを余技なくされた。
小額訴訟という比較的廉価で証拠さえそろっていれば短期に決着のつくまさに打ってつけの裁判があることに世の中のシステムに感謝しながら絶対に踏み倒されるものかとめらめらと燃え上がる炎のような執念で心を鬼にしてでも相手を執拗に追い詰める必死な覚悟を決めた。このころから借金をテーマにした漫画や映画などに興味が沸き、さらには勉強の意味で手に取る機会が多くなった。思えば広義の間接金融に興味を持った大きな出来事でもあったが当時の自分にはあまりにも大きすぎる代償であり学生の身分にしては気の毒でその未熟さゆえに好意を踏みにじれらて騙された感がなによりも悔しかった。
いつ終わるともわからない、できれば経験したくも関わりたくもない不毛な作業をまた開始し、訴訟についての準備を始めるのであった。バイトは続けていたが、学校の休みと重なった日に手続きに行くといった大学生にはおよそ不健全すぎる時間を費やさなければならない境遇に無念さを滲ませながらも勤めて平常心で淡々と使命を遂行していった。訴訟ともなると、被告の権利や守られるべき立場が慎重に考慮される。当然ながら国家権力によって強制力が与えられるべき判断に際しての重要な裁きであるからその手続きも厳格なものになってくる。無反応のBにも何度も意志確認の郵送物が発送されたが、未収受では原則として裁判は始められない。その流れも今までの成り行きからは容易に推測ができていたためその件に関しても対策としてとる方法の調べはついていた。
公示送達、通常は当事者の住所、居所、その他送達すべき場所が知れない場合にとられる手続きである。Bの場合住所は判明しているが、全て未達や受け取り拒否になっている点からそのことを証明する証拠を添付して申し立てをした。申し立てを受けた裁判所書記官は送達内容を裁判所の掲示板に掲示するという作業を行い2週間が経つと送達の効果が発生する。つまり送達した内容が相手に届いたとみなされるわけだ。申し立てを起こされた側からすれば末恐ろしい手続きであるとも思えたが債権者としての自分にとっては非常に画期的な制度であると思えた。歴史ある法制度は逃げ得をも許さない世論の下に成り立っている。その2週間のうちにBが何らかの意思表示や不服申し立てなどをしてくる可能性はほぼ皆無であったため、その期間が経過した後にも単調に事を運んでいった。いわゆる提訴できる状態となりその一連の過程においても際限なくその内容を通知する郵送物がBには発送されていた。そして裁判の日が決まり、ようやく来るところまで来たと不退転で望んだ成果が実現せしめる時まであと一歩だと言い聞かせてその日を心待ちにした。
裁判当日の日、私は書類を抱えて時間よりも早くに到着し、当該法廷を覗き込むとそこには多くの人で溢れ返っていた。生涯ではじめて法廷を目にしたが、この賑やかさは異様で抱いていた裁判のイメージとはかけ離れていた。しかし、当時の私でもこれほど多くの貸し金返還請求訴訟が行われているということを察するには十分であった。ただ、見る限りそれは私のような個人がやむにやまれず堪りかねて起こした抜き差しならない対立とはかけ離れていた。ほとんどの案件が消費者金融とその借り手であるといった業務的な側面で参加しているにすぎないといった人々ばかりであったからだ。裁判といえば被告と原告が紛糾して対決しているといった姿が連想されたが目のあたりにしたそれは裁判官と思われる黒服をきた中央の席に座る男性が判決文やら訴訟内容やらを冷然と抑揚なく棒読みして次から次へと案件がこなされていくものであった。そのたびに原告であると思われる人々が次々に法廷を出入りしていき、被告であると思われる人は一人もいなかったように感じられた。
システムがいまいちわからない私はとりあえず自分の裁判の時間になるまで傍聴席でその光景を見守っていたがもしかしたら被告のBと遭遇するのではないかというわずかな緊張感もあり自分の主張が認められるか否かが目の前で起こっているこの流れ作業のような裁判に一抹の不安もよぎっていた。裁判では原告も被告も参加していないような案件も多くそれでも裁判官は全く気にすることなくその判決内容を読み上げていた。実は参加しなくてもいいのか、Bは被告であってもまず今日この法廷に現れることはないと思っていたが、ここまで業務的に行われている裁判であれば原告すら現れないというのが、多くビジネスとして行われている裁判の側面を見て社会の意外性を垣間見、ひとつ勉強になった。
そんなことを思っているといつの間にかその裁判官の男性が突如私の名前と被告であるBの名前を読み上げて訴訟内容に言及しだした。私は驚き何をしてよいかわからなかったがその裁判官は全く異に解することなく、異議がなければというような前置きを置いて裁判が終了してしまったようだった。そして間髪いれずに次の案件に移っていったのであった。その間わずか1分程度だったろうか。あまりにも呆気なく、身動きさえとれない間に終了してしまった。それが終了したのかもよくわからず、しばらく留まっていたが明らかにもう自分が関係する内容ではないと思われ、ようやく踏ん切りをつけて法廷を後にした。受付窓口に行き確認事項を2,3聞いて後は後日判決内容が送付されるまでただ待つのみであると確認して裁判所を出た。なんとなく要領を得ないような裁判ではあったが、こんなものなのかと納得してその日はそれから大学へ向かった。
しかしBははるかに年下の私に訴訟を起こされ裁判にも出廷せずに一体何を考えているのかと不可解でならなかった。ただ、まもなく待ちに待った訴訟判決が下ると思うと感慨も一入であった。やがて裁判所からの通知書が届き、私の訴訟内容が全面的に認められBには40万円全額の支払いをする命令が書かれた判決文がそこにはあった。よかった、これで債権が完全に認められそしてそれを返還させる社会的強要の根拠も手に入れた。後はBの財産を取り上げることも含めて今回の主導権は私の手中にあると思われた。しかし、私は裁判で勝訴したその後のことを深くは考えずにいたため、また壁にぶち当たるのであった。
当然のことながらBからはその後も何の連絡もなかった。Bに判決内容が通知されているであろうことは考えられたが、相手には相変わらず支払いの意思がなければその通知も丸めてゴミ箱に捨てられてそのままの状態であるのも同然であった。想定できうる更なる打つ手を調べてみたときに強制執行という手続きがあったが、よく調べてみると相手の財産を取り上げる名目ではあるが、実質的には到底現実味のあるものではないことがわかってきた。先日訪問した際にBのマンションに金目のものがあるとは思えない、あの子供二人の様子からして生活は困窮しているのではと考えられるのが自然であるし、ましてや強制執行とはいえ生活必需品を取り上げることはできないのであるとわかったからだ。それでも心理的に相手に迫ることを目的とすればかなりのインパクトがあるだろうが、果たしてそんなことにどれほどの意味があるのか。考えれば考えるほど悲痛な思いがした、ここまで法的手続きをして相手を追い詰めてきたと思っていたが、最終的にはBはそんなことに屈するほどの容易い敵ではなかった。こちらが思う、一般的な常識の感性を持ち合わせている人間ではなかったのだ。不覚だった、金を貸したこともそうだがその後に没頭した裁判につぎ込んだ膨大な労力も、すべて水の泡になりかけていた。せっかく勝ち得た判決も役に立たないなんて。私はあらゆる手段を模索し続けたが、学生程度の社会経験と教養ではもはや限界であり完全に行き詰ってしまった。Bに対する憎悪は頂点に達していたが、それをどうすることもできなかった自分の技量の至らなさと勝訴までこぎつけた一つの事実として債権の存在を確定した実態なき達成感が相まって、ある種の燃え尽き症候群に陥ってしまったようだった。それからは大学の単位取得に追われたり就職活動が始まる時期にさしかかったりと、大金を事実上焦げ付かせている現実を深く胸にしまいこんでそれが鉛のように重く自らの人生に巣くう負の遺産として、そして臭いものに蓋をするように閉じ込めて生きていかなくてはならなくなった。