0411 シェアオフィスから一等地店舗へ
2021年4月5日に外貨両替インターバンクは秋葉原から新宿思い出横丁商店街に移転いたしました。東京では言わずと知れた金券ショップが軒を連ね、外貨両替店も複数ある有名な激戦区になります。コロナ前には到底空き物件が出るようなことはない商業の一等地でしたが、前テナントから半年ほど空きがあったのを役員から聞き実際に足を運んで良い場所であることを確認して賃貸を決断しました。平時であれば解約予告が出た時点で最高値を提示した次の借り手に内々で話が決まってしまい、情報さえ出回らないような案件であると聞きました。
コロナ前には訪日外国人が集まるような首都圏の、新宿をはじめ渋谷、表参道、池袋、銀座、築地の空き店舗を社員と共に回って探したことさえありましたが、当時はどこの不動産屋さんへ行っても「店舗はもうどこも空いてないよ」と全て門前払いされていました。
ここは新宿駅徒歩2分至近であり人通りは日本有数レベルで多い立地です。以前に金券ショップを多店舗展開している社長に聞いたことがあるのですが、50店舗以上運営している中で売上が一番良いのがこの思い出横丁ということでした。私は10年程前にその話を聞いて脳裏に残っていたのでこの場所には長年憧れのような羨望の想いがあったのは事実です。
大都会新宿、不夜城新宿、眠らない街新宿、欲望の街新宿、アジア一の歓楽街…これほど多くの異名を持った街は他にないのではないでしょうか。それほどまでに多くの顔を持ち、何百万人という人々を惹きつけ、その中の一人として新宿という土地でビジネスが出来ることを大変嬉しく思っています。
振返ればインターバンクの創業は日本橋のシェアオフィスからでした。当時はデスク利用料、電話代行料、住所登記料の3点セットで35,000円という賃料で開業しました。シェアオフィスというイケてる名称ではなく2005年当時はレンタルオフィスとして都内に数か所しかなく、来店客がある弊社としては何かと融通が利く現在でもお付き合いのある運営会社にお世話になっていました。レンタルオフィスということを知ったとある遠方のお客様はそのことを不審に思い激怒されたこともありますが今では笑い飛ばせる思い出です。
15年以上も前のことですが、多くの荷物と大きいプリンタをキャリーケースで運びながら初出社したのを鮮明に覚えています。そこは東京駅八重洲口から数分のオフィスでしたが、当然雑居ビルの上階でしたのでインターネットにより集客して来店してもらうか、振込での郵送取引しか取引の方法がありませんでした。レンタルオフィスですので全く無関係の起業家ともいえない個人事業主の卵のような方々と同じデスクで仕切っただけで肩を並べて座り、電話の内容も丸聞こえのような状態で仕事をしておりました。
新宿は住民の1割が外国人という国際的な都市であり、大家さんの話では店前を1日に50万人が通過するので店頭からの飛び込み客が期待できる店舗特有の強みに賭けてコロナ禍とはいえ安くない賃料を支払っていくという決断をし、スケルトン状態からの工事も含めて結構な投資になりました。
思い出横丁商店街は戦後の焼け野原から闇市を経てその名残が現在の長屋のような狭小店舗として昭和の雰囲気が漂っている珍しい風景から近年では外国人観光客が多く訪れていました。店々は各5坪もないほどのミニ居酒屋ですが個人経営のスナックやバーのような雰囲気で昼間から新宿風情の人々が赤ら顔で酒の肴を楽しんでいます。
私もふらっと一つの店に入り昼食を取りましたが、店員さんにため口で声を掛けられそのフランクさに気の利いた返しができずにドキドキしてしまいました。
また、冒頭で説明したように表通りには金券ショップが隣立してあらゆる同じ金券商品を違う価格で販売、買取をしています。金券ショップは日本に数多くあれどこの思い出横丁の相場が一番安く買えて、一番高く買い取ってくれる場所であるのは有名な話で、地方の金券ショップがここにきて売り買いをして地元の顧客との差額で儲けるのも金券売買の中心地であると言えます。
私も先ほど昼食をマクドナルドにしようといくつかの金券ショップを物色し、バーガー券、ポテト券、ドリンク券を合わせて610円で購入し実際にマクドナルドに行きサムライマックのセットしかもサイドメニュー全てLサイズにアップして購入してきました。
最新メニューを美味しくいただけてボリュームも十分で割安感を実感したのでとても満足でした。
通常料金は850円なので差額の240円がお得に食事できました。30%近くも割引かれるというのは需要喚起という面からはかなりのインパクトがありますし、おそらく株主優待券を換金したいという投資家の立場と、発行企業には先入金の後サービスの側面の役割も担っていると思うので近江商人超えの4方良しとして金券ショップの社会的意義やニーズも根強いものがあるのではないかとふと経済を感じてしまいました。
しかも駅前の超一等地に同業者が何件も軒を連ねて営業するというのは、賃料も人件費も莫大にかかるし、どれほどの件数や金額をこなして成立させているのか想像もつきませんが、その売上経費をもってしても利益が出るほどの巨大な需要が市場として存在していることにも感慨深いものがあります。
日本橋で創業した弊社インターバンクがなぜ今まで約10年に渡り秋葉原で長年営業していたかと言いますと、私は予てから日本橋シェアオフィス当時から外国人需要を獲得したいとの悲願を持っていました。インターネットで集客していても日本人のお客様を獲得することは出来てもインターネットで在日外国人や訪日外国人を集客するのはとても難しく、展示会でチラシを捲いたり、街中の外国人へチラシを捲いたりと足を使った地道な営業活動からリピータになり紹介が起こったりとアナログな経緯で少しずつ得意客を得てきました。外国人のお客様は取引金額も多く、リピートの頻度も高いことから上客になります。口コミの威力も強大です。
このような傾向を早くから察知していた私は外国人客に知ってもらえさえすれば弊社提示の優良レートで多くの支持をしてもらえると確信していました。しかし外国人集客の糸口がなかったため友人知人の経営者に会うたびに上記の目的に適う有力者を紹介いただけないかと事あるごとに打診していました。
そんなある日、その中の一人で私の同級生の伝手で知り合ったお客様でもあった貿易会社社長からドンキホーテに取り次いでやるから一緒に社長に会いに行くぞと言ってもらい本社のある葛西へ同行していただきました。
ドンキホーテはGMSと言われる総合スーパーが本業として知られていますが、その他にも多くの事業を行っており、その中でもドンキホーテ各店舗の空きスペースを活用した賃貸ビジネスをしている子会社の社長さんが当時の大原孝治さんでした。知人の社長と大原社長と私の3人で応接室で面会し、先方には既に私がドンキホーテのどこかの店舗特に外国人が多く来店される場所で外貨両替店をしたいというのは伝わっていたようで、本題はさておき大原社長の昔話などをお聞きしました。
「店舗に寝泊まりするのは当たり前で目を開けてから閉じるまでが仕事、そしてまた目を開けたら仕事」という創業グループの重要な片腕としてがむしゃらに働いてきたそうです。小柄な方でしたが威勢からは生え抜きとしてあらゆる仕事をこなしてきた仕事人といったリーダーの威光が感じられました。
創業者の安田会長からは国際電話で頻繁に檄が飛んでくるので気が休まらないという類のお話もされていました。私は安田会長の本をほとんど全て読了していて大変感銘を受けていたのでその方のリアルな話を身近に聞けて大変興奮したのを覚えています。
一通り世間話が終わってから大原社長が担当者を呼び寄せて、具体的にどこの店舗に空きがあるかを尋ねていました。そこで出たのが秋葉原店が近い内に空きますということでした。私は秋葉原と聞いたときにピンときませんでした。なぜならその面会の2011年当時、特にインバウンドが盛り上がっているわけでもなく秋葉原と外国人客が結びつかなかったからです。ドン・キホーテ秋葉原店には中国人をはじめとしたアジア系の方々が少しは来店されるというイメージがありましたが彼らは自国からの現金持ち出し制限があったりクレジットカードや銀聯カードで決済するはずだから外貨両替需要はないだろうと直感し、六本木はどうですかね?と何度も尋ねたと思います。
ビジネスは想いも重要ですが熱意だけではどうすることも出来ないことも多々あります。「六本木は空いてないね」の一言で終わりました。六本木には多くの既存外国人客がいましたし、言うまでもなく国際的な街でお金持ちも多く在住、働きにきています。したがって私は六本木で店舗を持つことを熱望していました。間違いなく外貨両替需要はあるしひとたび店舗開業すればもはやこのビジネスはあがりだとさえ思っていましたがそう上手くはいきませんでした。
大原社長との面会が終わり、担当者との話し合いに移り具体的にドン・キホーテ秋葉原店の図面を提示していただき、メイン入口の軒先の2坪もないスペースを現テナントの占い屋さんが契約を終えるのでここなら出来ますということで賃料は25万円ということでした。
帰路に着く駅のホームでも知人社長に執拗に「やっぱり六本木がいいんですよね。。」と往生際悪くぶつぶつと言い続けていました。
つづく…