2001年も夏に差し掛かろうとする頃、私の就職活動における結果はまるで無反応でした。周りの友人らと比べて1~2か月は遅く始めたためにタイミングを逸したのか、元々自分のスペックがかなり低いのかは判然としませんでしたが、3か月間にかれこれ20社近くは面接を受けましたが、1件も内定を取れてはいませんでした。普通は希望に沿わない企業であったとしても1件くらい採用通知があれば気は休まるでしょうし、社会から必要とされている人材であると認めてくれる会社があるというのは自信にもなります。

世間では就職氷河期が叫ばれていましたので少しは覚悟していましたが、さすがに内定が出ずに延々と企業行脚するのはしんどくなってきました。学生時代は変わった性格で終始田舎者キャラとしていじられていた自分ですが、その延長で社会という路線からも知らず知らずのうちに大きくズレていたのかもしれないと、初めて自分の存在を疑うような気持ちを持ちました。

学校の成績も悪くはないが良くもない、学歴も普通、趣味特技も取り立ててないし、何かを達成した実績や、人を率いた経験もない。凡人レベルを競う活動なら良い線いってるんだけど、自嘲気味に自分自身を見つめさせられました。

社会に認められる、お金を払っても良いと思ってもらえる就活ゲームで負けるのは今までの人生を否定させられることと同義のように思えて、せっかく経済に興味を持って勉強してきて血気盛んに社会に挑戦してやるんだ!と意気込んでいましたが本番の舞台にも立てないピエロのような屈辱的な心境になっていました。

もはや自分が主体的に就職活動をコントロールするのではなく、とにかくエントリー、説明会、面接の決まった流れを繰り返し、箸にも棒にも掛からぬ漂着物のように行き先が不明な幽霊船のような状況でした。

最悪数人規模の中小企業にでも入社できればそこで頑張ればいいかと、日大卒という一般的な学歴として最低限の妥協をする覚悟も過り始めていましたが、今思えば中小企業を舐めた考え方をしていたと思います。

そんなある日、自宅に1通のハガキが届きました。就職説明会のご案内と題して企業名にはひまわり証券という証券会社の名前がありました。全く聞いたことがない証券会社でしたがVIである企業カラーが青と黄色の非常に爽やかなロゴで好印象でした。私は知名度のなさは全く気にせず、直感的にもしかしたら証券会社に入れるのか!?という期待が先行して、ハガキで説明会の案内がくるという異例の事態にも何の疑いもなく速やかに申し込みをしました。

消費者金融メインと僅かな商品先物取引企業を中心に焦点を当てて活動をしていましたが、金融機関の王道業界である銀行・証券会社に憧れてはいたものの自分の自信のなさから1社も受けてはいませんでした。今思えば全く理解不能な意思決定なのですが、高校受験で高望みをして失敗した経験からなのか、リスクを取らずに無難を獲る現実主義が潜在的にあって確実性を優先し下から攻めていったのがその理由です。

ひまわり証券は当時港区海岸の都市開発された、湾岸が一望できる風光明媚な本当に素晴らしい立地の近代的なオフィスビルにありました。私が憧れていたエリートサラリーマンが多く生息しているビジネス街にはうってつけのまさにこんな場所で働きたいと思っていたような場所です。

説明会といってもまだ入社したとは決まっていませんが、立地だけで入社意欲は俄然上がりました。会社説明会の内容では主力が商品先物取引事業で、株式先物取引や外国為替証拠金取引を配下の子会社が扱っているというデリバティブ取引に強みを持っている証券会社ということでした。

それらの事業の違いは理解していたものの実際の仕事内容がどの程度違うかは知る由もなかったのですが、経済に興味を持っていた学生がデリバティブ取引と聞けばとても知的で国際的でなんだか難しいけれどその分高収入で女子にもモテそうな金融マンとしてのイメージが連想され、自分がまさに目指していた仕事がここでできるかもしれないと心躍る気分でした。

その後のひまわり証券の就活の流れはとても早く、1次、2次、3次面接をとんとん拍子で進み、あれよあれよという間に内定が出ました。2次面接あたりは面接というよりはまるで講義をずっと聞いているだけのような時間でありました。大したことも言ってないのに「君には夢がある!いいね!」というどうともとれるお褒めの言葉をいただいたり。その場で内定にしておくから!というようなハイテンションな面接官は初めてでしたので、えっ受かる時ってこんな感じなんだ。と拍子抜けした感じがしたのを覚えています。

あれほど渇望していた内定でしたが、たった一枚のハガキからこれほどスムーズに決まってしまい、今までの苦労は何だったのだろうかと皮肉に思えましたが、そう思うのは微かで内心はようやく内定が取れ、しかも金融業界の花形である証券会社で勤めることができるという喜びと、どん詰まりの蟻地獄のような就職活動からようやく解放されるという大変すがすがしい気持ちになりました。

実はひまわり証券の就活の過程と同時期にもう一通のハガキが届いていました。それは別に受けていた消費者金融の会社の面接通過の知らせでした。そこはアイクという消費者金融会社で当時成長産業である日本の消費者金融業界、つまり肥沃なサラ金市場に参入してきていた外資系の会社であり、参入にあたって大量の新卒採用を実施していると後になってから知りました。

ひまわり証券からのハガキが届いていなかったら…もし時期が前後していたら…私は恐らく証券マンではなくサラ金マンとして社会人デビューしていたことでしょう。なにせナニワ金融道やミナミの帝王の漫画で学生時代を育ってきたといっても過言ではなく、第一志望として憧れていた業界ですから何の迷いもなく突き進んでいたのは想像に難くありません。

言わずもがな消費者金融業界のその後は10年もたたないうちに激震が走り、壊滅的な大淘汰が起こりました。帝国と言われた超優良企業、あの武富士が倒産するとは夢にも思わなかったでしょう。その激動に私の人生飲まれていたら…ポジティブに捉えることは出来ませんが、果たしてどのような末路を歩んだかは今となっては知る術はありません。

業界選びはとても重要です、成長産業に飛び込むのと斜陽産業に飛び込むのではキャリアにしても収入にしても長い時間で雲泥の差がつくと思います。色々と背負う物が出来れば抜け出したくとも簡単にはトラバーユ出来ずに就活で難儀した以上のもがき苦しみを味わうことになり得ます。

現状の人生をポジティブに捉えれば、今となっては私の就活の業界選びは全くの運でした。絶対に入りたいと思って行動していたイケイケの消費者金融業界には受からず、たった一通のハガキが紙一重で命運を分けました。ひまわり証券は私の個人情報をなぜ知っていたのか、リクナビ一択の時代になぜハガキという案内方法を行っていたのかも未だによくわかりません。

しかし、初めての就職活動で私の人生における明確なドット(点)が記されたのは間違いなく、導かれる運命も逆らえない宿命も説明がつかない出来事がまるで神の見えざる手が結びつけるように起こります。自慢できることがあるとするならば人生の要所や絶対に失敗できないポイントは全て乗り越えてきているように思います。それは教養の差とか努力とか原因があるものではなく、運が良いとしか思えない現象を乗り越えてきていると思います。

運が良くなる秘訣は経験を積むことではないでしょうか、私の就職活動は全くの社会人未経験で例外ですが、人間は多くの経験を積めば積むほど無意識のうちに自分を良くするバイアスが働き最適な取捨選択をする方向に進んでいく、よって自分の望む結果が出るのではないでしょうか。

人との出会いもより多くの人と出会い、自分に最適な人や利益になり得る相手と付き合い、まるでろ過した後に残る結晶のような人々と長い付き合いが出来ることは貴重な財産です。

私の人脈のきっかけ

社員:一人は元利用客で同じ高校の後輩が直接応募(4年) 一人はエン・ジャパンで募集して入社(1年半)
役員:ひまわり証券時代の先輩の同僚で紹介(7年)
コーチングコンサルタント:秋葉原移転時の不動産仲介業者の営業マン(1年)
ブランド買取パートナー:元利用客(10年)
ブランド買取パートナー2:ブランド買取パートナーの紹介(1か月)
税理士事務所:役員の紹介(4年)
弁護士事務所:元顧客の紹介(4年)
エンジニア:アイミツの紹介、ランサーズでマッチング(5年)
生命保険担当者:さいたま起業家協議会で知り合う(12年)
パーソナルジムトレーナ:ネット検索のトレーニングジム(1年半)
ギター講師:ネット検索のギター教室(半年)
大家さん:物件に張り紙(2か月)

このように出会いを振り返ると顧客や紹介、ネット検索が多いです。偶発的に出会ったのは奥さんくらいだと言えますが、我が家の馴初めは口外禁止になっています。