外貨の歴史【台湾ドル】
オールドとニューがある台湾ドル
台湾ドルの歴史は1946年に国民政府から発行されたオールド台湾ドルが始まりで、これは日本の通貨と台湾の通貨をスムーズにやりとりするために発行されたものです。当時の中国は内戦により非常に情勢が荒れており、金融についてもそのあおりを受けて不安定な状態が続いていました。そのため、価値の変動が激しい中国より発行された通貨ではなく、より価値の安定した通貨を台湾が発行する必要があったのです。
しかし1948年に金融危機が上海にて勃発し、巻き込まれる形で台湾ドルもその価値を急速に落としました。滞りなく外貨とやりとりするために再び価値の安定した通貨が必要となった台湾省政府が発行したのが、現在も使われているニュー台湾ドルです。
ただし、新通貨発行の背景には金融危機だけでなく、中国国民党の影響があったとも言われています。中国国民党が内戦の戦時物資として台湾の物資を大量に利用したため、台湾は深刻な物資不足に陥りました。その結果として発生したインフレを抑えるために新しい貨幣が発行されたという説も否定できません。新通貨発行の原因を金融危機とする説とインフレとする説はお互いに矛盾するものでもないため、両方ともに支持されている状態です。
台湾省政府はオールドの4万ドルをニュー台湾ドルの1ドルとする台湾省幣制改革法案と新台湾発行弁法を施行し、新通貨への正式な切り替えが行われました。ただしニュー、オールドの両方とも国が発行した正式な通貨としては認められず、台湾内で通用する地域通貨という扱いでした。そのため、中国や日本といった限られたアジア諸国ではその価値を認められていましたが、この時点では世界的に通用するほどの影響力はありません。
国際的に認められた経緯について
国民政府が中国から台湾へと移ったことがきっかけとなり、ニュー台湾ドルの扱いは大きく変化します。中華民国はこれまで使用していた銀本位制の維持を発表し、ニュー台湾ドルの正式な利用を決定しました。同時に中国国内の通貨である銀元との交換比率も決定され、ニュー台湾ドルは銀元の国際的価値を土台として世界に通貨としての価値を認められることになったのです。偽造した場合は中国の発行する国の通貨と同様の刑法が適用されるという見解が司法院から発表されたことも、国際的な価値を認められた証拠と言えるでしょう。このことにより、外貨とのやりとりがスムーズになりました。
そして1961年にはニュー台湾ドルの発行が台湾銀行に委ねられることが決まり、通貨としての価値もより正式な通貨に近いものとなりました。ただし、あくまでも正式な通貨に近いものとされただけであり、正式な通貨とされたわけではありません。
1992年に、銀元及銀元兌換券発行弁法が破棄されて銀圓が廃止されます。その後、2000年に中央銀行発行新台幣弁法が制定され、ニュー台湾ドルは台湾銀行ではなく中央銀行から発行されることとなり、国が発行する正式な貨幣となったのです。正式な貨幣として認定されるまでには約50年という長い歴史がありました。
2003年には台湾銀行から発行された通貨は利用不可となり、中央銀行で発行したものだけが正式な通貨として扱われるようになりました。2005年には偽造を防ぐための透かしが入れられ、透かしの入っていないものが利用できないよう定められました。現在流通している銀行券は2005年から発行が始まったものです。
台湾ドルの現在について
台湾ドルは台湾元、TWD、NTDなどさまざまな呼び方があるため、事情を知らない人から台湾では複数の貨幣が流通しているとしばしば勘違いされています。しかし台湾は日本と同じく単一の貨幣しか持っておらず、台湾貨幣を差しているのであれば、どのような呼び方でもすべて同じ貨幣のことです。仕様もやや日本円と似ており、紙幣と硬貨にわかれています。紙幣は2千元紙幣を最高額としていますが、こちらはほとんど使われていません。また、2百元紙幣も同様にあまり使用されておらず、紙幣は千、5百、百元が主に流通しています。
台湾は地理的な規模こそ小さいものの、1965年までアメリカからの援助を受けていたこともあり、経済的にとても発展しています。国民の所得水準が高いことから治安も比較的良好で、安心して遊べる観光地としても人気です。日本を始めとしたアジア諸国からの旅行者も少なくありません。こういった背景から、ニュー台湾ドルはその他の歴史ある貨幣と並んで、価値の安定した貨幣として国際的にも高く評価されています。外貨とのやりとりにも困らない貨幣と言えるでしょう。
なお、現地では台湾ドルという呼び方は使われていません。これは台湾の外でのみ通用する呼び方で、現地では書き言葉なら圓または元、話し言葉では塊と呼ばれています。また、書き言葉の場合は金額の前に新台幣とつけることで単位を省略するケースも少なくありません。